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『中上健次ナイト』ー 京都国際現代芸術祭にて


 偉大な小説家、中上健次 ほど、私の人生に、多大な影響を及ぼした人はいない。それは間違いなく断言できる。

 文学のみならず、音楽、写真、映画、いや、芸術・芸能全般の、深さ、豊かさを、これでもかというほどの激しさをもって、叩き付けるように、教えてくれた。彼の生み出した文章を読むだけで、何度、身のすくむような思いをした事か。何度、夜の闇の中で、脂汗をしたたらせながら、呻くような、声にもならない声を、発したことか。何度「そうだ」と目を見張りながら、重層的な、彼特有の、言の葉の霊のつらなりから分泌される官能に、恍惚と身を委ねた事か。

 ずっと、生きてあることに、根本的な矛盾を感じていた。

『生きたい』と思うその瞬間に、まったく同じ強烈さで、『死にたい』と願っている自分がいた。愛するものを、その愛ゆえに、果てしなく傷つけてしまうような、自分がいた。分け隔てられ、ある言葉、ある概念の中に納まり、安定してしまった、思考、感情、欲望。それらの固定した枝葉の奥の奥に、どうしょうもなく分裂した、矛盾した、絶対に解きようもない、果てしなくうごめく欲動の塊があるのを知っていた。それがいつも目の前に、まざまざと見えていたのだった。この胸の薄皮を一枚剥いだすぐそこに、それはあった。いつその皮が破れ、血のような矛盾が溢れ出し、流れ出てしまってもおかしくはなかった。苦しかった。ただひたすら、苦しかった。

 その苦しさに耐えられず、その切なさに煽られて、私は絵を描き、写真を撮り、そしてまた繰り返し、それらを破壊して来たとも言える。この矛盾の集積を、果てしのない運動を、悲劇的な回路を、中上健次 ほど、描き尽くした人はいない。私はそう思う。

 このうごめく矛盾の集積、つねに複数の意味を発する、無慈悲なる無重力のような時空間を、彼は『うつほ』と呼び、芸術・芸能の核の部分として見据えていた。その言葉を冠した、未完の小説『宇津保物語』。そこからの引用を中心とした、朗読のパフォーマンスを今回、京都国際現代芸術祭 PARASHOPHIA の一環のイベント、『中上健次ナイト』にて、やなぎ みわ さんの、輝かしい移動舞台車上で、行なったのだった。

 重なる想いは、夕闇へと向かう、雲を埋め尽くした空へと巻き上がり、解き放たれた。

 そしてそれは、確実に、私自身の中上健次の世界に対する、一つの区切りになったと思う。

 中上が、命がけで描き出してきた、路地とその破壊、それらを貫いている『うつほ』の、さらに奥の奥へ、距離さえも、そして善悪というあらゆる価値判断が無効となる、その時=空間の、中心の、さらに中心へ、私は今、足を踏み入れようとしているのを感じている。

このような貴重な機会を与えて下さった、現代社会における希有なアーティスト、やなぎ みわ さんに、そして今回かけつけて、素晴らしい写真を撮影してくれた、親友 青谷 建に、心からの感謝を送りたい。


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