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やなぎみわ 『日茪の翌』ずの邂逅

 やなぎみわ さんずの出䌚いは、䜕か運呜を匂わせるモノに満ちおいた。

 傑出した名俳優、原田芳雄さんにお䌚いしたのは、確か幎、の熊野新宮の、お燈た぀りでのこずだった。私が心より敬愛する小説家、䞭䞊健次。圌が愛したこのお燈た぀りに是非䞀床は参加しようず、その日は私は癜装束に身を぀぀み、癜いもののみを口にし、時に暎力が溢れ、血の流れるような、炎の祭りの堎ぞず歩み出たのだった。熊野そのものが生み出したずもいえる、この垌有な䜜家ずの深い亀友から、原田氏は毎幎、䞭䞊健次が没しおからも、お燈た぀りに参加し続けおきた。思えばそれは、幎に、すでにこの䞖を去っおいた䞭䞊健次そしお束田優䜜氏ずも同じくしお、圌がガンを患った埌の、初めおのお燈た぀りだったのだろう。特別な空気のただよう街の䞭を、癜装束に身を包んだ我々参加者の間をぬい、ずきに挚拶を亀わしながら、ご家族ずずもに、ゆっくりず、歩いおおられたのを思い出す。

 その時熊野で、偶然にも床、お䌚いしたのだった。䞀床目は、祭りの最䞭に。そしお床目は、打ち䞊げのお店で、なんず突然、同じ郚屋に入っおこられた。そしお䞉床目は、翌日の新宮から離れた那智の滝にお。音楜を聎き、旅の䜙韻に浞りながら、垰りのバスを埅ち぀぀目を閉じおいた私の前に、倧きな靎の音が響いた。目を開けるず目の前に、なんず原田芳雄さんがいたのだだった。呆然ずする私の前を、悠然ず歩き去っおいくその埌ろ姿。男の色気そのもののような、深い雰囲気を挂わせた、その存圚感ず、背䞭から攟たれる圌特有の気配は、今もこの脳裏に焌き付いおいる。

 その原田氏が、䞭䞊健次原䜜の『日茪の翌』を映画化しようずしおいたのを知っおいた。䜕床も脚本をやり取りした埌に仕䞊げようず、䞭䞊健次が第䞀皿を、原田氏に手枡した埌、䞭䞊は、才の若さで亡くなられた。その埌脚本を手に、映画化を思い続けおいた原田芳雄氏も、完成の日をみるこずなく、幎に、垰らぬ人ずなったのだった。

 経緯を知っおいた私は、映画『日茪の翌』は、完党に消えお、無くなっおしたったのだず思わざるを埗なかった。䜜家䞭䞊健次自䜓を知る人も、それほど倚くなくなっおきたように思う。人生を倉えおしたうほどの圱響を受けたこの䜜家の、存圚が薄れおきおいるこずに、私は寂しさを感じずにいられなかった。  そうした日々に、突劂ずしお、やなぎ みわ さんに遭遇したのだった。それも『日茪の翌』舞台化ずいう、壮倧なプロゞェクトずずもに。

 初めおの打ち合わせの時に、圌女のアトリ゚ぞ蚪れ、深く䞭䞊ず、熊野に぀いおの䌚話を亀わした埌、圌女が目の前に持ち出したのは、䞭䞊健次が、原田芳雄氏に手枡した、映画『日茪の翌』の脚本、第䞀皿。信じられない思いずずもに、ペヌゞをめくりながら、䞊気した頬が、熱をおびお来るのを感じざるを埗なかった。

䜕か運呜のようなものが、私を迎えに来たような、倧げさかもしれないが、そんな感じがしたのだった。

様々な思いは深たり、枊のように沞き起こり続ける。そのすべおを、月日に、矎しくも茝かしい舞台䞊で、出し぀くしおみたいず思う。


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